落語日記 41-45

 

 

「ニッポン落語むちゃ修業」という、若い落語家が日本を一周しながら全国各地で落語をやっていくという本を読んだ。

全国各地を周っているので、誰が読んでも「うちの近所には来てるのかな?」という興味で2,3ページは読むことができる。

 

ニッポン落語むちゃ修行

ニッポン落語むちゃ修行

  • 作者:桂 三若
  • 発売日: 2008/09/10
  • メディア: 単行本
 

 

また、全国各地の迷惑なお客さんの姿なども書かれていて、そこは生の迫力が多少あった。それ以外は余り面白いと思える所は少なかった。

しかし、若い落語家がどういう噺をやっているのか、関東と上方とではどう異なるのか、そういう興味で読んだので別によい。

多少笑ったのは、何でもかんでも微妙に言い間違えるおじさんの出てくる所。

 

「NHKのちりとてしゃんは最高だね!」

「ワインはやっぱりボンジョレ・ヌーボー!」

「大阪はチューン店が多いでしょう?」

 

という風に三つ並べられると、つい笑ってしまう。


口直しにちくま文庫の志ん生集を読んだ。
最近やる人が多いと言う「井戸の茶碗」。これは滑稽な雰囲気が漂う人情話で、確かに全部読み終わると後味がいい。

 

古典落語 志ん生集 (ちくま文庫)

古典落語 志ん生集 (ちくま文庫)

 

 
それから、いしかわじゅんと志らくがミクシーの日記のコメント欄で対立しているというので、わざわざ探して読んでみた。

志らくは落語の本質は「江戸の風」とか何とか、薄ボンヤリしたことを言っていて、言葉足らず。いしかわじゅんは「それが全てとは思わない」とか何とか、そういう感じだった。

どうも志らくという人は言葉が軽くてドスが効いていない。そういう断言をビシッと決めるには、談志なみにドスが効いているか、途轍もなく頭が良くないと難しいと思う。

 

 

「落語新時代」という本を図書館で見つけて借りた。

この本はおおまかに三部構成になっていて、最初は昨今の落語界の概況、問題点などについての論評。

「大ホールでの落語では落語家が見えない。あれでは落語ショーだ」とか「チケットがとれない」といった内容。ここは同感。

 

落語新時代

落語新時代

 

 

真ん中は小三治へのインタビューで、苦し紛れにまくらを長くやっているうちにそれが売りになってしまった事への複雑な心境とか、テレビを通じて売れるようになることへの冷めた視線など、やや突っ込んだ内容を語っているインタビューで良かった。イベントや祭りが嫌いで、真打になる必要もあまりないと思っており、ブームとか言われても何とも思わないと言う。こういう人はいいね~。

最後は近年(2005~2007年くらい)の色々な落語家のリポート的な文章。これも内容にほどほどに突っ込んでいて良かった。
特に昔昔亭桃太郎という人の、大金持ち家族の噺は途中のセリフや噺の展開が詳しく書いてあって、興味を感じた。


あとはCDで談志の「白井権八」。これは講談みたいな噺で落語ではなかった。


それから車が渋滞していたので、金馬のCDも一枚聴くことができた。

まず有名な「居酒屋」。これは特に期待したほど凄いものではなかった。しかし金馬の代表作で大ヒット作ということなので一応聴いた。

 


三遊亭金馬(三代目) - 居酒屋

 

次は「小言念仏」。これにはビックリ。
何故ビックリかというと、先日談志がこれをやっているのをDVDで見たばかりで、金馬の「小言念仏」に滅茶苦茶そっくりだということに後から理解が追いついた。

高度な落語論や人情話よりも、「そっくりにできてしまう」という談志の完コピ技術に唸った。全体のリズムも面白くて「ひたすらお経を唱えながら小言を言う」というだけの内容とよく合っている。これは◎。

 


落語 「小言念仏/一目上がり」 三遊亭金馬

 

最後は「佃祭」。これは聴いていて途中で、あっこの噺は知ってるなあと気付いて、そのまま終わってしまったような感じ。

 

落語蔵出しシリーズ(5)居酒屋/小言念仏/佃祭

落語蔵出しシリーズ(5)居酒屋/小言念仏/佃祭

 

 

 

CDで志の輔の有名な「はんどたおる」「死神」を聴いた。

志の輔はガラガラ声で聴きやすい。人あたりがマイルドで、気取らず、かと言って「庶民の皆さんの所へ降りていく演技」をしているような感じもない。
また、枕を聴いた感じだと、非常に鋭い視点で物事を観察しているとか、何か狂気じみたものを持っているとか、そういう目立った特徴もない。

普通に面白くて、それでいて物足りないものを感じさせないという、ある意味かえって珍しいタイプかもしれない。

 

志の輔らくごのごらく(1)「はんどたおる」「死神」

志の輔らくごのごらく(1)「はんどたおる」「死神」

  • アーティスト:立川志の輔
  • 発売日: 2002/11/20
  • メディア: CD
 

 
「はんどたおる」は夫婦のやり取りまではごく平凡に思えた。
その後で3人目の人物が出てきて、今までの理屈が再び出てくると面白くなる。

「3人目の人物」というのは、他の落語を考えてみる際にも役立つ、重要な見方かもしれない(落語をやる側にとっても二人の会話と三人の会話は大きく異なる筈だ)。


「鰻の幇間」なんかだとどうか。
この噺は実質2人しか人物が出てこないような気がする。
幇間がいて客がいる、だから2人。
しかしよく考えると、もしかして1.5人かもしれない。
いや3人目もいた筈だ、最後に出てくる3人目は重要だ。
と色々と考えが広がる。

「落語における第三の人物」という文章や本があったら絶対に手が伸びると思う。しかし自分の考えているような内容ではないだろう。


「死神」は古典落語で、やや長い噺だったが最後まで引きこまれて聴いた。これは元々完成度の高い作品のようで、他の演者とどう違うのかがまだよく分からない。

ただ、ユーモラスで多少抜けた感じだった死神が、ちょっとドスの利いた声で「あれほどしてはいけないと言った事なのに」と迫る場面は怖かった。

図書館で小三治の「死神」も借りてきたので、それを聴いた時にまた続きを考えることにする。

 

 

CDで志の輔「へっつい幽霊」「雛鍔」。

これはどちらもさほどのものではなかった。
特に「雛鍔」は金を欲しがる子供がよくない。
どうも「生意気な子供」「物をねだる子供」「我侭な子供」「金を欲しがる子供」というものは余り面白くはならない気がする。

 

志の輔らくごのごらく(2)「へっつい幽霊」「雛鍔」

志の輔らくごのごらく(2)「へっつい幽霊」「雛鍔」

  • アーティスト:立川志の輔
  • 発売日: 2004/11/17
  • メディア: CD
 

 

それから小三治の「錦の袈裟」「金明竹」も聴いた。

「錦の袈裟」は江戸っ子っぽい感じがいい。しかし昭和50年の録音なので、同じものがあるなら最近のものを聴いた方がいいような気がする。
しかし現役の人については、最新イコールベストとは言えないので難しいところだ。

 

「金明竹」は関西弁の長い口上を言う人が出てきて、ここが見事だった。小三治は与太郎が上手い。

談志は「志の輔は小三治を越えた」なんて言っているが、何から何まで勝っているとはとても思えない。

 

ちょっと体調がよろしくなかったので、今回の二枚は気持ちが離れてしまった。

落語はCDで聴く限りでは、体や精神のコンディションに面白さが左右されてしまう。音楽や映画にはあまりそういう事は感じない。テレビ番組はもっとそれを感じないので、落語はちょっと脆いと言うか、入りにくさがある。

ちなみに疲れ果てていても「お試しかっ!」は楽しめる。しかも途中から見て途中でやめても平気。そういう意味ではやはりテレビは強い。

 

 

志ん朝の「碁どろ」「お若伊之助」をCDで聴いた。

「碁どろ」は囲碁将棋に熱中する様子が可笑しい。
何かに夢中になって他の事が見えなくなる人、横から口を出す人、それを迷惑がる人など、割と当たり前の人物が出てきて当たり前の事を言うだけでも大変に面白い。

これが芸の力というものか。ただし最後は今ひとつかなあと思った。
しかししばらくして、やっぱりいいかという風に考え直した。

 

 

次の「お若伊之助」は同じCDシリーズ「志ん朝復活」の他のCDに入っているので、ダブっている。こちらは79年のものを聴いた。
しかし大幅な違いというものは感じられなかった。
ボサッと聴く限りでは同じではないか。でも面白かった。

志ん朝はとにかく明るい雰囲気、声、そういう所がいい。明るいというのは貴重なものだ。

「東京人」の落語特集号がブックオフに売っていたので買った。


12月は国立演芸場で落語を観てきたので、そのうち感想を書こうと張り切っていたのだが、早くも30日になってしまったので、明日か来年にでも書くことにする。