前回までの「話が長い人」は、こちらの都合や時間や顔色にはまったく構わずに話すタイプである。今回は、自慢話が延々と続くタイプの人を考えてみよう。
何々で優秀な成績を得た、表彰された、優勝した、合格した、親戚が何々、知人が何々、など自慢話にはいろいろある。その手の自慢話に「またその話か」と思いつつも、普通はちょっと持ち上げていい気分にさせるのもマナーのうちである。
つまり自慢系の長話をする相手と分かれば、こちらの対応次第でそこそこ良い気分になってもらえる。そして、いい気分でこちらのお願い事を聞いてもらえる場合もあり、うまくコントロールできれば双方にメリットがある。
ところがちょっと相槌を打っただけですっかり上機嫌になってしまい、延々と独演会が始まる場合もある。コントロールどころか制御不可能で、三十分や一時間くらいなら聞いてもいられるが、二時間を越えて二時間半を過ぎてもまだ終る気配すら見せないという人もいる。しかも話の中身がいつも同じで、それでも遮って止めることはできず「あ、これ前にも聞いたな……」と薄れゆく意識の片隅で思いながらも、次第に頭が麻痺してくる。
そのうち自分の心がピクリとも反応しなくなって、目が虚ろになってきて、口から自動的に「すごいですね」だけが判で押したように出てくるようになる。これはしんどい。私が今、頭に思い浮かべているAさん(五十代)の独演会(聞き手は私ひとり)は特にしんどかった。
しかも自慢のレベルが全国レベルではなくて、市内とか社内とか支店レベルの話なので、スケールが小さい。自称「成功者」で、タワーマンションの最上階に住み高級車に乗っているというのは結構だが、そう言われても物欲達成型の自慢話にははまったく興味を持てないし、本音を言えば勝手にベンツでも三輪車でも好きな乗り物に乗ってればいいじゃん、としか思えない。
すぐに激怒する人なので言えないのだが、あなたの会社の従業員は皆あなたを嫌っているようですよ、と言いたい心を抑えつけながら聞く「カラオケで歌う曲の話」「マラソンの話」「親戚の話」、いずれも気絶するかと思うほど平板で半端で退屈だった。合い間に入る陳腐な「感謝」「仲間」「挑戦」という決まり文句も安い芝居じみている。それでも最初にややオーバーに感心して褒めてしまったせいで、拝聴せざるをえない。多少は自業自得であるだけに一層つらく、長く感じられるのであった。
反対にもっとレベルの高い人もいて、Bさん(七十代)は民謡や演歌を歌うのが上手く、上手いというのが本当に日本全国レベルで、何かにつけて全国大会に県代表かそれ以上の扱いで出ている。
つい先月も「また全国大会に出ちゃったよ」「結果はいかがでした?」「審査員特別賞……」と、面白くも何ともないような顔で言って、本当にトロフィーが、ここはトロフィー専用部屋かと思うほど沢山あるのを見せてもらった。
それでも大した賞金が出るほどではなく、トロフィーを売ってお金になるわけでもなく、本業とも無関係なので、どれほどの成績になっても「やれやれ」「またか」といった調子なのである。こういう人の話ならもっと聞いてみたいものだが、そもそも歌の勉強などしたことがなく、普段の練習はほとんどせずに、サッと行って難なく表彰されるので話すことがないのだという。