話が長い人の分類:ループ系

 

 

ループ系とは、一回の会話の中で、同じ表現や場面描写を何度も繰り返すというタイプである。

この例を書こうと思ったが、辛すぎて書けない。とにかく同じ表現で何度も同じことを繰り返すので、話を終らせるタイミングをつかむのが難しい。割って入るにも勇気が必要だし、なぜかこちらはさっきと同じ言葉で同じ反応をしてはいけないような気になってくる。そういう状況になるといつも「金魚すくいでなかなか金魚をすくえない図」が思い浮かぶ。

ところが同じループするにしても、映画や漫画のループもので前と同じ場面が出てくるのは苦にならないどころか面白い。これは作り手も受け手も同時に「この場面は二度目だな」とか「これで五度目だ」といった具合にきちんと理解しているからだろう。そして互いに「理解している」ということを理解しあっている。

現実の会話の場合、繰り返す側はおそらく半ば無意識に繰り返していて、聞く側だけが「何回目かわからないが繰り返しているよな」と意識しており、苦痛を送る側と受け止める側の関係が一方通行なのである。非対称的で不公平である。

そういえば以前読んだ「食卓歓談集」に「現実に泣いている人を見るのは辛いものだが、芝居で泣いている人を見てもさほど辛く思わないのはなぜか?」というテーマがあった。確か「芝居の人物は、実際には苦しんでいないから平気でいられるんだヨ!」みたいな答が書いてあったように記憶する。

 

食卓歓談集 (岩波文庫)

食卓歓談集 (岩波文庫)

 

 

ループものも「バタフライ・エフェクト」のように仕組まれていれば面白いが、現実には聞いていて本当にしんどい。しかもお婆さんやお爺さんだけという訳でもなくて、その息子さんと話をするとその人もまたループの仕方がそっくりだったりするのだ。