落語日記 76-80

 

 

昨日は志ん生の「弥次郎」を聴いた。

これは談志のDVDで観たことがあるが、内容は同じ。

前半は寒い地域に行って、そこがいかに寒いかという大袈裟なホラ話。後半は猪と戦うという、笑いあり、アクションあり、教訓ゼロという明るい噺だった。

これはもしかして、あらゆる落語の中でベスト10に入れてもいいかもというくらい好みの噺だった。

それから「落語とチェーホフは似ている!」という意見を時々見かけるので、チェーホフの短編を幾つか読んだ。確かに似ている点が幾つかある。

 

1、話が途中から始まって途中で終わるような感覚。前後がありそう。

2、登場人物の喜怒哀楽がやや誇張されている。すぐ泣く。すぐ喜ぶ。すぐ怒る。すぐ夢想する。すぐ忘れる。

3、滑稽さや愚かさの描き方に温か味がある。

 

といったところ。

解説にはチェーホフの手帖にあったアイディアのメモが紹介されていた。

「宿屋に泊まった客が、老婆に浣腸される。しかし老婆の勘違いだった」

「手袋をしただけの裸の死体」

「幽霊になったと思い込んでいる男」

など。

これらは落語的な雰囲気が確かにある。もしチェーホフが落語を聴いたらきっと喜んだはず。

 

 

相変わらず落語を聴いたり観たりしている。

最近聴いたのは小さんの「宿屋の仇討」で、あまり他の人はCD化していない演目なので、ちょっと内容的に問題があるとか、或いはつまらないのか?と思っていた。

しかしどうも気になるので聴いてみると、そんなに退屈ではなかった。しかしサゲというか落ちというか、結末が非常に単純なので、ちょっとダメかな~という印象。

 

キング落語1000シリーズ 宿屋の仇討

キング落語1000シリーズ 宿屋の仇討

 

 

全部ダメというものではないし、本を読むとこの噺は大ネタ扱いされていて、最近でもやる人はいるようなので、自分の中での評価が揺れるところだ。


今日は午後6時から8時半まで、志の輔のパルコでの落語会の模様をやっていたので前半は録画した。後半の「中村仲蔵」はリアルタイムで観た。

この噺は以前、林家正蔵のCDで聴いたが、ただ「昔の役者がこういう工夫をしました」というだけの内容で、25分程度のもので、正直どこがどう良いのかほとんど分からなかった。

今回の「中村仲蔵」は、70分もの時間をどう持たせるのか、そこがまず不思議だったが、生い立ちや歌舞伎役者の地位、落語との比較(家柄を重視するか否か)、下っ端の役者の心理、人気の出た役者へのやっかみや嫌がらせといった心理など、随所に講談的な解説や描写が入っていて、退屈しなかった。

また登場人物も少し増えていて、下げの一言も鮮やか。志の輔の落語はいつも噺の隅々にまで神経が通っていて、丁寧だという印象を受ける。

また、団十郎という大役者と中村仲蔵の関係が、談志・志の輔の関係と重なるような所もあるので、そこに構造上の深みと味もある。

概要としては「芸のために工夫をした」とか「芸を客や仲間や先輩に認めてもらった」というだけの噺なのだが、それで70分語りきって、笑わせて、泣かせて、感動させる力は凄い。これまでに観たり聴いたりした落語の中でもかなり上位に入る一席だった。

 

 

コンビニに行ってチケットの発券機をピコピコいじっていたらその横のCDの棚が目に入って、円生のCD(二枚組)が二千円で売っていた。

演目を見てみると自分の持っている7枚組の選集とダブりが無いので、早速購入。今日は車の運転中にかなり聴いた。


まず最初は「居残り佐平次」。

これは遊郭に行って金を払わないで誤魔化してしまうという、非常に独特で軽妙で変わった人物の噺。映画にもなっているが、もう少し上手にペテンにかけるような誤魔化し方でないといけないような気がする。

例えば最初に出てきた仲間がグルだとか、別の目的があって遊郭に隠れていたとか、何かひと捻りあってもいいと思う。自分の好みとしては中の中か、中の下くらいのランク。

 

圓生百席(1)一文惜しみ/居残り佐平次

圓生百席(1)一文惜しみ/居残り佐平次

  • アーティスト:三遊亭円生
  • 発売日: 1997/04/21
  • メディア: CD
 

 
次は「お若伊之助」。

これは志ん朝のものを2種類、3回か4回くらい聴いている。
その時も面白かったが今回もやはり面白かった。

恋愛物、ミステリ、滑稽噺の要素が色々と混ざっていて、お色気ありアクションあり怪奇ありで、何度聴いてもいいですなあ。

 

圓生百席(8)おみき徳利/お若伊之助

圓生百席(8)おみき徳利/お若伊之助

  • アーティスト:三遊亭円生
  • 発売日: 1997/05/21
  • メディア: CD
 

 
次は「首提灯」。

前々から聴きたかった噺で、割と有名でありながらも、最近はさほどCD化されたり演じられたりしてはいないっぽい噺。
聴いてみて理由が分かったが、内容は滑稽で面白かった。

 

NHK落語名人選 三遊亭圓生 4 唐茄子屋/首提灯

NHK落語名人選 三遊亭圓生 4 唐茄子屋/首提灯

 

 

特にスパッと切られた体が、上半身と下半身に分かれて別々の仕事をする(上半身は湯屋の番台にいて、下半身はコンニャク屋でコンニャクを踏んでいるという)という辺りのナンセンスなおかしさはメチャクチャ自分の好みに合っている。


次は「寝床」。

これも色々な人のものを何回も聴いたが、円生のものは初めて。

 

百席(33)猫定/寝床

百席(33)猫定/寝床

  • アーティスト:三遊亭円生
  • 発売日: 1997/10/22
  • メディア: CD
 

 

どうも系列的に文楽-志ん朝路線を正統のように思っていたが、円生が義太夫の声の破壊力をコミカルに描写するので、談志の「寝床」がそれを受けついでいるらしいことに気付いた。

円生-談志の方が正統かもしれないので、何とも言えなくなってきた。文楽系だと最初から大家さんがウキウキ気分で登場するが、こっち系だと噂から入る。

「夜中の二時過ぎに動物園の裏を通りかかった時に聴こえるような声」

なんていうフレーズは今でも面白い。そんな時間に通りかかる機会などあるか、と考えるとますます楽しい。


最後は「引越しの夢」。これは以前にも誰かのCDで聴いた。けれども、落ちは何だっけと思っているうちに最後まで行ってしまった。

 

圓生百席(35)派手彦/花見の仇討/引越しの夢

圓生百席(35)派手彦/花見の仇討/引越しの夢

  • アーティスト:三遊亭円生
  • 発売日: 1997/10/22
  • メディア: CD
 

 
これで二枚組のCDは聞き終えた。

沢山まとめて聴いても苦にならないどころか、もっと円生を聴きたくなるくらいので、まだ聴いていなかった演目を探して「猫忠」を聴く。

 

圓生百席(34)猫忠/花筏/能狂言

圓生百席(34)猫忠/花筏/能狂言

  • アーティスト:三遊亭円生
  • 発売日: 1997/10/22
  • メディア: CD
 

 

これは「お若伊之助」と似た系列の噺で、落ちが可愛いかった。

 

 

前回は円生の「居残り佐平次」を聴いて、何故これをあまり好きになれないのだろうか?という疑問を感じたので、談志のDVDも観てみたが、やはり遊郭に居残ってお金を払わないというのは、ちょっと成立しにくい噺だなと思った。

これは金を払わない側に立って応援しようという気になれば、それなりに痛快な気分になれるのかもしれないが、自分はどちらかというと客からお金を貰わないと商売成り立ちません、という側にいる人間なので、どうも金を取ろうとする側、遊郭の方が気の毒に思えてしまう。

だから遊郭側が何か悪いことをしているとか、不正に女郎をいじめているとか、そういう理由がないと佐平次に肩入れできないのかもしれない。佐平次の方の動機も何だかボンヤリしている。


今日は志ん朝と小さんのCDを借りた。
とりあえず今日は志ん朝の二席を聴いた。

志ん朝は「おかめ団子」。

この噺は親孝行したい一心で泥棒をしようとする男が主人公で、すごく捻ったアイディアだとか巧みな落ちといったものは無い。しかしいかにも落語らしい、志ん朝らしいノンビリ、おっとりした調子で良かった。
全体の長さやまとまりも丁度よい。枕やエピローグ的な会話もいい。

 

 

次は「茶金」。

これは茶碗で儲けてやれという噺。自分は「猫の茶碗」とごっちゃになっているが、今日聴いたのは「はてなの茶碗」と同じで、もともと関西系の噺らしい。これもコンパクトでまとまっていて良かった。

こうして並べてみると「居残り」「おかめ団子」「茶金」とみな金銭がらみの噺だった。

 

 

*今日はネタバレありで感想を書くので注意して下さい。


志ん朝のCDのまた別のものを聴いた。

最初は「高田馬場」。

この噺は敵討ちの噺だが、ついちょっと前に聴いた「宿屋の敵討」と似たような流れになっている。

どう似ているかというと、


1、最初に人物AとBが出会う

2、AとBは実は敵を討つ、討たれるという関係であることが分かる

3、実は敵うんぬんという話は嘘だということが判明する


という流れが同じだ。これは音楽で言うところのコード進行のようなもので、そっくりと言えばそっくり、別の作品と言えばそうとも言える。

だから退屈かというとそうでもなくて、この噺は周囲の野次馬の様子がとても可笑しい。

 

 
次は「甲府い」。

これは以前志ん生のものを聴いたことがあるが、その時と同じく「最後がダジャレかよ!!」という感想を持った。

しかし別に「最後がダジャレだからもうとにかく全部ダメ!!」といつも判断している訳ではないし、「最初からほとんど全部いいけど、最後のダジャレだけはイヤかな~……」という感想を持ってもいい筈なのだが、何となくそうはならない。

前半は特にイヤだとか嫌いというほどのものではないが、なるべくなら寄席などでは聴きたくない噺と言える。

しかしなぜ「ダジャレ」を嫌なものと感じるのであろうか。さほど工夫もしていないくせに笑いを強要してくるような図々しさにムカッと来るのであろうか。もしうんと手の込んだ、驚くような発想のダジャレがあったらそれを面白く感じるのであろうか。この辺は自分でもよく分からない。


次は小さんの「竹の水仙」。

これは左甚五郞の出てくる噺で、他にも似たような噺を幾つか聴いている。

 

昭和の名人~古典落語名演集 五代目柳家小さん 六
 

 

これもやはりコード進行的な共通項がある。


1、貧乏だが誠実な人間がいて、何らかの理由で困っている。或いは、宿屋にいる変な男が宿代を支払わないので困っている。

2、そこに左甚五郎が登場、または変な男の正体が左甚五郎。

3、左甚五郎の彫った何かが客や金を呼び、めでたしめでたし。


というもの。

これも昨日と同じく金銭がらみの噺だが「メチャクチャ凄い彫刻家の作ったものだから本物同様になる」というメルヘンチックな所がいい。なのでこのシリーズは好きだ。


次は「おせつ徳三郎」。これは長い噺らしく、聴いているうちに前半だけで終わってしまった。よって感想は特になし。